私がしたいことは「居場所の提供」なのかも。

 

 

こんにちは、大悟です。

 

私が寄付を通じてどんな社会を作りたいのかを今一度考えてみました。

 

 

寄付は手軽にできる社会参加の手段の一つです。

寄付をしている人が偉いとか、寄付をしていない人が偉くないとかそういうことではなくて、寄付をすることで「私でも誰かの役に立てるんだ!」って感じてほしいです。

 

仮に私が超お金持ちで100万円寄付するよりも、100万人が1円寄付することの方がずっと価値があります。少なくとも私は価値を感じます。

100万人の人が社会問題を知り、小さく心を痛め、何か行動を起こしたというかけがえのない事実はきっと世界の胎動になります。

 

きっと私にとって、携わるイシューはあまり重要ではないのかもしれません。

もちろんかものはしプロジェクトに参加している一員として、売られる子どもが世界から一人残らずいなくなってほしいと思っています。

同時に、売られる子どもがいない世界を実現し寄付者にその世界を提供することが、寄付者への一番の恩返しになるとも思っています。

 

私は寄付をお願いする、寄付を頂く、という関係に終始したくありません。

単純な富の移動の手先なら、一般企業で営業やっているのと大して変わりません。

私がファンドレイザーという職業に魅了されているのは、そんな単純な理由ではありません。

 

 

寄付を頂くからには、必ず「この団体に寄付して良かった」と感じて頂きたいです。

その為にはファンドレイジングだけやっててもダメで、

経営・財務・ライトホルダーの立場、あらゆる目線で活動を捉えられる人にならなきゃなと感じています。

 

どんな人でも社会に参加できて、みんなで社会を良くしていける雰囲気を作りたいです。

なので本来、寄付金額の多寡に貴賎はないはずです。

キレイゴトばっか言うなって思われるかもしれませんが、私にとってこれは譲れない本質です。

 

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。