私がしたいことは「居場所の提供」なのかも。
寄付をお願いすることにハードルを感じる人は多い。寄付をお願いすることに申し訳なさを感じるという訳だが、私はそう感じたことは今まで一度もない。私が寄付をお願いしなかったら、私はその人から寄付する機会を奪ってしまうことになる。寄付をするかどうかは寄付者の自由であり、自発的意思だから。
— 鈴木大悟 (@fundraiserdaigo) September 30, 2018
寄付で未来の社会を想像できるし、創造できる。より多くの人にイシューを知ってもらうこと、イシューに参加できる機会と手段を提供すること、実際にアクションを起こせた自分に満足感を感じてもらい、自分も社会を変えることのできる一員なんだと思っていただく。
— 鈴木大悟 (@fundraiserdaigo) September 30, 2018
寄付することで居場所が生まれる。社会のいろんな場所に自分が参加できる居場所があるというのはとても幸せなことだと思う。小中学生の時にいじめられてて、この世界のどこにも居場所がないと感じていた昔の私を救うことができると思う。
— 鈴木大悟 (@fundraiserdaigo) September 30, 2018
こんにちは、大悟です。
私が寄付を通じてどんな社会を作りたいのかを今一度考えてみました。
寄付は手軽にできる社会参加の手段の一つです。
寄付をしている人が偉いとか、寄付をしていない人が偉くないとかそういうことではなくて、寄付をすることで「私でも誰かの役に立てるんだ!」って感じてほしいです。
仮に私が超お金持ちで100万円寄付するよりも、100万人が1円寄付することの方がずっと価値があります。少なくとも私は価値を感じます。
100万人の人が社会問題を知り、小さく心を痛め、何か行動を起こしたというかけがえのない事実はきっと世界の胎動になります。
きっと私にとって、携わるイシューはあまり重要ではないのかもしれません。
もちろんかものはしプロジェクトに参加している一員として、売られる子どもが世界から一人残らずいなくなってほしいと思っています。
同時に、売られる子どもがいない世界を実現し寄付者にその世界を提供することが、寄付者への一番の恩返しになるとも思っています。
私は寄付をお願いする、寄付を頂く、という関係に終始したくありません。
単純な富の移動の手先なら、一般企業で営業やっているのと大して変わりません。
私がファンドレイザーという職業に魅了されているのは、そんな単純な理由ではありません。
寄付を頂くからには、必ず「この団体に寄付して良かった」と感じて頂きたいです。
その為にはファンドレイジングだけやっててもダメで、
経営・財務・ライトホルダーの立場、あらゆる目線で活動を捉えられる人にならなきゃなと感じています。
どんな人でも社会に参加できて、みんなで社会を良くしていける雰囲気を作りたいです。
なので本来、寄付金額の多寡に貴賎はないはずです。
キレイゴトばっか言うなって思われるかもしれませんが、私にとってこれは譲れない本質です。
私は寄付が好き。するのもされるのも好き。寄付は人を幸せにする力がある。善意のお金が流れることで幸福が増幅する。私は一人でも多くの人を寄付で幸せにしたい。まだまだ無力で、自分の足元もおぼつかないけど、私が気付いた一つの真実。自分の時間とお金を全力でぶっこみ続ける。
— 鈴木大悟 (@fundraiserdaigo) September 27, 2018
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。