セリーナ・ウィリアムズ選手の騒動から見る性差別
日本にも性差別はまだまだ残っている、という話をすると、男性の多くはピンと来ないかもしれない。しかし、「そのピンと来なさ」自体が性差別であるということを認識した方がいい。女性は男性が想像する何十倍も生きずらさを感じている。
— 鈴木大悟@かものはしプロジェクト (@fundraiserdaigo) 2018年9月12日
ウィリアムズは、大坂なおみに負けた全米オープン女子シングルス決勝戦で、3つの規則違反を問われて合計1万7000ドル(約189万円)の罰金を科された。確かに、ウィリアムズが積み上げてきた賞金総額に比べれば微々たるものだ。しかしそれでも、テニスという文脈では、大きな意味をもつ。
(Yahooニュースより引用)
普段から性差別について考えさせられる環境に身を置いているので、どうしても目に留まってしまいました。
目次
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性差別を感じていないことが、性差別だと思う
私がかものはしプロジェクトで働き始めてすぐ、インドの提携団体で働くインド人スタッフと対話する機会を頂きました。
彼らと日本事業部のスタッフとのディスカッションが、今でも忘れられません。
インド人スタッフが、
「日本にも性差別はあるの?」
と質問してくれた時、
私は、
「日本は先進国として発達しているし、とりわけ性差別と呼べるような差別はないんじゃないかな…」
という考えが一瞬頭をよぎりました。
しかし、日本の女性スタッフが質問に首肯するのを見て、私は自身の認識の浅さを恥じました。
性差別を感じているのは女性であることが多く、それを認識していない男性が性差別を作っているのではないか?
私の無頓着さが女性に生きずらさを感じさせてしまっているのではないだろうか?
と感じました。
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性差別を認知することから始めたい
女性と男性ではそもそも物事の捉え方や、役割が異なる部分があります。
何から何まで女性も男性も同じように、というのも違和感が残ります。
自己が他者を100%理解するのが不可能であることと同じように、性別に違いがあるもの同士がお互いを100%理解することは不可能です。
そもそもこの世界に生を受けた時点で、全く同じ人間はいないし、それぞれ個性があります。
男性・女性・LGBT、どのタイプにいようとも、それは個性の一側面にすぎません。
個性を受容できる環境が必要だと思います。
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性差別を乗り越えるには?
かものはしプロジェクトが扱っている児童買春問題は、一口に貧困だけで片付けられる問題ではない。全ての人が、本来持っている尊厳を取り戻す為の挑戦であり、性差別を乗り越える取り組みだと思う。
— 鈴木大悟@かものはしプロジェクト (@fundraiserdaigo) 2018年9月12日
性差別を乗り越えるには、双方の想像力と充分な対話が大前提です。
今回のセリーナ選手の騒動も、お互いがお互いの異なる部分を指摘しているような気がします。
違いがあるのも当たり前なので、それを声高に叫ばなくても済むような世界になってほしいな、と思います。
幸い私はその社会の実現にわずかながら貢献できる場所に身を置いていますので、今日も一日頑張ります。
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全ての人が自分のやりたいことに気付き、それに打ち込むことができたら、どんなに良い社会になるでしょうか。
女性も男性も関係なく、一人のヒトとして輝けることにもっと目を向けていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。