「 1 dollar. 」
こんにちは!大悟です!
先月のカンボジア出張中、仕事の合間を縫ってアンコールワットを観光しました。
朝焼けをバックにアンコールワットを見ようとホテルを早朝4時半ごろに出発しました。
私が行ったときは、カンボジアは雨季。綺麗に朝焼けが見れるか不安だったのですが、その日は運良くとても綺麗に見ることができました。
(誤解が起きないように、きちんと申し添えておきたいのですが、私は今回の出張は飛行機代からホテル代に至るまで全て自費で参加しています。ドナーの方から頂いた大切な寄付金を観光に使っている訳ではありませんので、ご理解の程よろしくお願いします。)
こんな絶景を若いうちに見れて、本当に自分は幸せだな、と思いました。同時にその絶景以上に私には印象に残っている光景がありました。
こんな風に日の出直前になると、絶景をカメラに収めようとたくさんの観光客がその瞬間を待っています。
この人だかりの後ろについて回るように5歳くらいの女の子が物売りをしていました。
売っているものは、なんてことのない簡単な土産物です。
首から下げたカゴの中にいっぱい商品を入れて、
「1 dollar, 1 dollar.」と言いながら、観光客のあとをついて回る彼女。
それしか言葉を知らないんじゃないかと思うくらいに、ずっと
「1 dollar, 1 dollar.」と言い続けていました。
彼女の声が今もずっと私の中で反響しています。
正直朝焼けよりも、ずっと心に深く刻まれました。
もし私が彼女から買ってあげたとしても、きっと裏で手を引いている大人がいるので、彼女にはお金は渡らないんだろうなと思うと本当に心が痛かったです。
この子も生まれてきた場所がカンボジアだったというだけで、私の腰くらいの背丈しかない時から労働を強制されています。
もしこの子が日本に生まれていれば、温かい家庭できちんとした教育が受けられたかもしれません。
「産まれた場所が違うだけで、こんなに開きがあっていいのだろうか…。」
それでも今の私には目の前の子を助けることもできない無力感に打ちのめされました。
私が今この記事を書いているのは朝の8時。日本とカンボジアの時差は2時間なので、きっと今頃、カンボジアは日の出前後でしょう。今もきっと彼女は「1 dollar, 1 dollar.」と言い続けています。
恵まれた私にできることは、与えられた命を全力で使うことです。
私はファンドレイザーとして、あなたの「1 dollar.」を変えたいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。